対人恐怖症引きこもりマン

対人恐怖症の貧民がなんとなく記事を書くのです。

まだまだ分からんことがおおいです

それでも毎日は否応なく過ぎ去っていくし決して巻戻らないのは当然当たり前子供でも分かる。

 

しかし加齢を重ねるにつれて体感時間は違くなってゆくものでそれが焦りにもなってゆく感じがいたします。

 

歳を重ねる事に恐怖じゃなく人生を自分で積み上げていく感覚を得られるような生き方をしてゆきたいです。

 

 

引きこもりが5年ぶりに友人と呑んで来たりニコ生をはじめて見たって

新年会ってわけじゃないけど高校時代の友人とあってきた。

 

みんな元気そうで何よりで

 

子供が産まれた奴、結婚が決まった子などそれぞれの近況を楽しく話せた。

 

やっぱり広場とか人が多い飲み屋などだとまだまだ緊張があるけどどんどん前に進めている気がする。

 

あと喋る訓練も兼ねて失うものも無いのでニコ生の配信を始めてみた。

 

これが意外にも効果覿面でなんというか画面越しではありますがある程度話す機会を増やしたり、配信するのが少し楽しみになってきている自分がいる。

 

何かしら社会的な行動や自分の将来の為にも何か行動し続けるものを作ってアウトプットしていければなって最近は思えるようになってきた。

 

まだまだだし甘いことばかり言っているんだろうけど僕の様な人間は少しでも新しい事を始めたり行動してゆく癖や、行動出来た事に少しでも満足感や充足感を自分で感じらるようなマインドを作っていかなければいけないんだろうなあとやっと気づけました。

 

 

自分の人生から逃げ癖がついてるけど人生は決して長くはないのだから何かしら残して生きてゆきたいと最近思うのです。


t-cophony chandler cover

もっと自分という太い柱を

はじめはばっきりと2本に(初めての挫折)。

 

さらにバキバキに4本に、さらにさらに自分の自尊心的なサムシングをバッキバキに折って折って砕き砕かれてそれこそ粉末状になるまでへし折り続けて

 

やっとそこから試行錯誤という水をたらし、練り上げる作業をしてそれこそ粘土細工のような

 

そこが人生のスタートラインなのかと

 

 

ちょっとなにいってるのかわかりませんね

布団の上でしねるのでしょうか

そんな今考えてもむだなことを考えてしまいます。ほんと日本に産まれてきてしまってすみません。

 

お国の為に何も出来てない。

 

でも今日も生きてるんだよなぁ。

まったりしましょう

誰に肯定してもらえるとかじゃなく、そんな不確定で曖昧なことに囚われ神経すり減らすよりそんな自分を肯定してあげられる初めの存在は自分なんですよね。結局。

 

ただ今現在なりたい自分に。