対人恐怖症引きこもりマン

対人恐怖症の貧民がなんとなく記事を書くのです。

アーメンソーメンナンマイダー

幼少時の周りにいた大人たちを考えると、ある意味宗教的なものに敬虔?信心深い?ひと達の方が強欲で且つ自分の信仰している宗教、宗派以外の信仰をバカにしたりやたら攻撃的だし信光にも日常生活にもお金を無駄に使いまくってしまう印象。

 

振興宗教に嵌った母親は家のお金をわけのわからん宗教につかったと家族全員に嫌われていたが私としては当時の父親の収入と家の金全般は祖母が握っていたのでどこからその費用を捻出したのかわからない。(本人は使っていないと言っていたが「無駄なことには」って意味で立派に洗脳完了済みだったと思われる。)

 

それに対してやたら攻撃する祖母も神棚や仏壇(本体やお飾りするもの)に幾らかけたかを親戚兄弟に自慢したりと信仰の根本が全くみえない。

 

 

わたし個人としては宗教とは日常を支配されるのでは無くその宗教が生まれた背景や開祖、当時の時世などをしっかり学習し、一方に囚われず他方も有とし一種の学問、考え方の指標になるべきものであるべきであると思います。

 

 

ですから知識として他方色々浅くでも学び他方を受容しながら数ある学問の一つ的に捉えるべきと感じます。

 

 

数多の人間が他者と関わりあいながら生きてゆくのに互いの人生観を盲目的な一点からの視点で語り攻撃、修正、排斥しようとし軋轢が生じるのは醜いし無駄であると思います。

 

 

身内の中なら尚更。

 

 

 

おわる!